Hayahide

競馬コラム  |  名馬伝説

本命の重さを背負い、 最後にすべてを取り戻した。

BNW・菊花賞・春天宝塚連覇の物語

SCROLL
01

怪物の弟を持つことになる、長兄

1990年3月10日、北海道の早田牧場新冠支場で一頭の鹿毛が生まれた。父はシャルード。米国産のNijinsky系種牡馬で、日本での実績はまだ薄い存在だった。母はパシフィカス——母父はノーザンダンサー、欧州の良血を持つ繁殖牝馬。馬主は早田光一郎氏、調教師は浜田光正

この馬には、まだこの時点では「弟」がいなかった。だが翌1991年、同じ母パシフィカスから、今度は父ブライアンズタイムとの間に黒鹿毛の半弟が生まれる。後に「シャドーロールの怪物」と呼ばれるナリタブライアンである。母を同じくし、父を異にする——競馬の世界でしばしば見られる「半兄弟」の関係が、この2頭の宿命を結ぶことになる。

「兄が先に道を作った。母パシフィカスは、二代の名馬を世に送り出した稀代の名繁殖牝馬だった。」

ビワハヤヒデと名付けられたこの鹿毛は、デビュー前から関係者の評価が高かった。立ち姿、歩様、訓練での反応——どれも一流だった。鞍上には、当時すでに日本競馬の象徴的存在だった岡部幸雄。冷静で堅実、馬の能力を最大限に引き出す名手。「世代の本命候補」として、ビワハヤヒデはターフに登場することになる。

✦ ✦ ✦
02

本命の重圧を、
常に背負って走り続けた

ビワハヤヒデの特徴は、「常に上位を外さない」鉄壁の安定感だった。突き抜けたインパクトはないが、何度走っても必ず先頭付近にいる。馬群を捌く器用さ、コーナーで内をロスなく回る賢さ、最後の直線で必ず脚を残しているスタミナ——すべてが「優等生的に強い」タイプだった。

🛡️

鉄壁の安定感

通算16戦で連対率8割超。負けても2着、ほとんど取りこぼさない。「ハヤヒデから入って、相手を探す」——それが当時の馬券ファンの定石だった。

⛰️

長距離適性

3000mを超えるレースでこそ真価を発揮する典型的なステイヤー。菊花賞、天皇賞・春という長距離GIで本格化し、最強馬の座を確立した。

👑

本命の風格

パドックでの落ち着き、堂々とした立ち姿。「世代の代表」としての風格をデビュー時から備えていた。馬としての完成度の高さが、彼の最大の魅力でもあった。

ただ、本命の宿命とも言える「波乱の犠牲者」になることもあった。1993年皐月賞ではナリタタイシンの17番人気からの大逆転に飲み込まれ、日本ダービーではウイニングチケットに先着を許す。「強いのに勝てない」ジレンマ——この時期の彼は、ファンから期待される重圧と戦っていた。

✦ ✦ ✦
03

BNW三強の中で、
最後に最強を証明した

1992 暮

朝日杯3歳ステークス、2着。
世代の2歳GIで惜敗の2着。だが内容はすでに同世代の中で頭ひとつ抜けており、翌年のクラシック本命候補に。

1993 春

共同通信杯、弥生賞を連勝。
クラシックトライアル戦線で連勝街道。皐月賞へ向け、1番人気の地位を確立した。

1993.4

皐月賞、ナリタタイシンに敗北。
1番人気で迎えた中山。だが直線で大外から飛んできた17番人気のナリタタイシンに差され、2着。日本競馬史に残る波乱の犠牲者となった。

1993.5

日本ダービー、ウイニングチケットに敗北。
府中の長い直線でウイニングチケットに先着を許し、再び2着。クラシック前半戦は、2着続きの「準優勝」に終わった。

1993.9

神戸新聞杯優勝、菊花賞へ。
秋初戦の神戸新聞杯を制し、戦線復活。長距離適性を活かして、菊花賞でのリベンジを目指す。

1993.10

菊花賞優勝、ついにGI制覇。
京都3000m。長距離で本領を発揮し、5馬身差の圧勝。三冠最後の舞台で、ついに本命の意地を見せた。ナリタタイシンは4着、ウイニングチケットは故障で不出走。世代の覇権を、ハヤヒデが取り戻した瞬間だった。

1993 暮

有馬記念2着。
引退間際の名馬・トウカイテイオーの「奇跡の復活」を、最も近くで見届けた一頭。2着に敗れたが、世代を超えた強さは健在だった。

1994.4

天皇賞・春、堂々の優勝。
京都3200m。長距離戦の覇者として、春の盾を制覇。古馬になっても進化し続ける姿に、ファンは「やはりハヤヒデが最強」と再確認した。

1994.6

宝塚記念優勝、GI3勝目。
阪神のグランプリも制覇。「長距離戦線の絶対王者」として、世代を超えた頂点に君臨した。

1994 秋

天皇賞・秋を前に屈腱炎、引退。
秋の盾を目指す調教中に屈腱炎を発症。通算16戦10勝、2着5回という驚異の安定感を残してターフを去った。同じ秋、半弟ナリタブライアンが菊花賞を制し、世代を超えた「兄弟リレー」が完成した。

✦ ✦ ✦
04

なぜ「常に本命」だった馬が、
最後に頂点へ立てたのか

ビワハヤヒデの戦績は、GI3勝・通算16戦10勝・2着5回。一見地味だが、よく見れば「3着以下になったことが一度もない」というほぼ完璧な安定感を誇る。シルクジャスティスでも、ステイゴールドでもない、彼のような「鉄壁の本命」は、競馬の世界では本当に稀である。

ただし1993年クラシック前半は、彼にとって試練の時期だった。皐月賞ではナリタタイシンの大逆転に飲み込まれ、ダービーではウイニングチケットの末脚に屈する。1番人気で挑んだクラシック2戦が、両方とも2着。「強いのに勝てない本命」というレッテルが、彼を苦しめた。

だが秋の菊花賞で、彼はすべてを取り戻した。5馬身差の圧勝——世代の覇権を、長距離の舞台で完全に奪い返した。続く1994年の春天・宝塚連覇で、もはや世代の中で彼の前に立つ馬はいなくなった。「遅咲きの本命」とでも言うべき完成形が、ここに現れた。

本命の重さを背負って走り続けた馬が、最後に背負っていたのは、王冠だった。

そして忘れてはならないのが、半弟・ナリタブライアンの存在である。1993年秋、ビワハヤヒデが菊花賞を制した同じ年に、弟はまだデビュー前のクラシック候補だった。翌1994年、兄ハヤヒデが春天・宝塚を勝ち、秋に屈腱炎で引退する——その秋、弟ブライアンが菊花賞を制覇する。兄弟が連続して長距離GIを制覇するという、日本競馬史でも極めて珍しいバトンタッチが、母パシフィカスの血を通じて成立した。

ハヤヒデは「目立たない強さ」の代表格だった。ナリタタイシンの17番人気の華やかさも、ウイニングチケットのダービーの感動的な勝ち方も、彼にはなかった。だが彼は最後に、誰よりも多くのGIを勝ち、世代の覇者になった。派手な物語より、コツコツ積み上げた強さ——ビワハヤヒデの本質は、まさにそこにある。

Biwa Hayahide

本命の重圧を、最後まで背負い切った馬がいた。

派手さよりも、確かさで覇権を取り戻した。それがハヤヒデだった。