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競馬コラム  |  牡牝のしくみ

「牝馬は牡馬に勝てない」 は本当か?

力差・ハンデ・歴史を変えた女傑たち

01

パワーの差は、どこから生まれるのか

競馬を見ていると、「牝馬は牡馬に勝てない」という言葉をよく耳にします。実際、混合戦(牡牝が一緒に走るレース)では、たいてい牡馬が上位を占めます。なぜ、こうなるのでしょうか。

その答えはシンプルで、生まれ持った身体の違いにあります。サラブレッドという同じ品種の中でも、牡馬と牝馬では平均的な体格・筋肉量・骨格がはっきりと違うのです。

馬体重を比べてみる

牡馬

約 470〜530kg

筋肉質、骨格が太い。大きな個体だと550kgを超える。

牝馬

約 430〜480kg

細身でしなやか。牡馬より平均20〜50kg軽い。

たった20〜50kgの差と思うかもしれませんが、競馬はわずかなパワー差が結果を分ける競技です。ゴール前の競り合い、急坂を駆け上がる場面、追い比べでの最後の一伸び——こうした瞬間で、馬体の重さと筋肉の量は決定的な差になります。

ホルモンと筋肉の発達

もう一つの大きな要因が、男性ホルモン(テストステロン)です。牡馬は思春期以降、テストステロンの働きで筋肉が大きく発達します。骨格も太く、首回りや胸の厚みが増し、いわゆる「パワー型の馬体」になっていきます。

一方の牝馬は、エストロゲン(女性ホルモン)の影響で、しなやかでバランスの良い体型になります。瞬発力や敏捷性では牡馬と互角に渡り合えますが、力勝負・押し合い・坂の駆け上がりになると、平均的に牡馬のほうが有利になります。

競馬の世界で「牝馬が不利」と言われるのは、差別ではない。生物学的に、平均的な力差が確かに存在する。

ただし、これはあくまで平均の話。個体差は大きく、牝馬の中にも牡馬を凌駕するほど大きく、力強い馬は存在します。ウォッカは「牝馬とは思えない雄大な馬体」で知られていましたし、アーモンドアイも完璧なバランスの良い馬体を持っていました。

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02

2kgの優しさ — 「牝馬2kg減」のルール

生まれ持った力差をどう補うのか。競馬の世界が出した答えが、「牝馬2kg減」というハンデです。

混合戦(牡牝が一緒に走るレース)では、牝馬は背負う重り(斤量・きんりょう)が牡馬より2kg軽いと決められています。これは、騎手の体重と鞍を含めた合計重量の話。馬の上に乗せる重量を2kg減らすことで、力差を補正しているのです。

「斤量」とは何か

競馬では、馬の能力差を調整するために背負う重さを変えるルールが昔からあります。これを「斤量」と呼びます。強い馬ほど重い斤量を、弱い馬は軽い斤量を背負って走る——これがハンデ制の基本です。

G1などのグレードレースでは、年齢・性別・実績に応じて斤量が決まります(定量戦と呼ばれます)。たとえば3歳の混合G1なら:

区分斤量(例)
3歳牡馬57kg
3歳牝馬55kg(−2kg)

※ 実際の斤量はレースによって異なります。これは一例です。

なぜ2kgなのか

長年の競馬の経験から、「2kg軽くすれば、ちょうど力差を埋められる」という経験則が確立されています。たった2kgでも、馬にとっては大きな差。スタミナの消耗が違い、終盤の伸びが変わってきます。

ただし、これでも牡馬と完全に互角になるわけではありません。「2kg減」はハンデではなく、出走しやすくするための配慮に近い、と言ったほうが正確かもしれません。混合戦で牝馬が勝つのは、それでも本当に難しいのです。

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03

意外な事実 — G1は、ほとんどが混合戦

「牝馬のレース」「牡馬のレース」と聞くと、別々のリーグがあるように感じるかもしれません。しかし実は、日本のG1のほとんどは「牡牝混合戦」です。

混合G1のリスト(実は多い)

レース距離区分
天皇賞・春3200m古馬G1
天皇賞・秋2000m古馬G1
安田記念1600m古馬G1
宝塚記念2200mグランプリ
ジャパンカップ2400m国際G1
有馬記念2500mグランプリ
高松宮記念1200m短距離G1
スプリンターズS1200m短距離G1
大阪杯2000m古馬G1
マイルCS1600mマイルG1
フェブラリーSダ1600mダートG1
チャンピオンズCダ1800mダートG1

これだけ多くのG1が混合戦なのです。さらに驚くべきことに、「牡馬三冠」と呼ばれる皐月賞・日本ダービー・菊花賞も、実はルール上は牡牝混合。牝馬の出走を制限していません。

牝馬限定戦(実は少数派)

レース距離対象
桜花賞1600m3歳牝馬
オークス2400m3歳牝馬
秋華賞2000m3歳牝馬
ヴィクトリアマイル1600m古馬牝馬
エリザベス女王杯2200m3歳上牝馬
阪神JF1600m2歳牝馬

牝馬限定戦は、3歳の三冠+古馬の主要G1で、合わせて6戦ほど。年間24戦あるG1のうち、4分の1にも満たない数です。残りはすべて、牝馬は「混合戦に挑む」ことになります。

つまり——競馬の世界では「牝馬は牡馬と一緒に走るのが普通」が、本来の姿である。

もちろん、強い牝馬の多くは牝馬限定戦をメインローテーションに選びます。同性同士のほうが勝ちやすいから、賞金を稼ぎやすいから。しかし、本物の女傑たちは——あえて混合戦に挑む道を選んできました。

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04

牡馬を倒した瞬間 — 女傑たちの記録

混合戦で牡馬を倒した牝馬は、日本競馬史において特別な存在として記憶されます。「64年ぶり」「54年ぶり」「史上初」——彼女たちが達成した記録は、いずれも気の遠くなるような時間軸です。

ウォッカ

2007 日本ダービー

64年ぶり、史上3頭目の牝馬による日本ダービー制覇。父タニノギムレットに続く父娘ダービー馬。その後も安田記念、天皇賞・秋、ジャパンカップなど混合G1を多数制し、GI7勝。

ダイワスカーレット

2008 有馬記念

54年ぶりの牝馬による有馬記念制覇。同年の天皇賞・秋ではウォッカに2cm差で敗れた雪辱を果たす形で、暮れの中山を逃げ切った。通算12戦すべて連対という驚異の安定感を残した名牝。

アーモンドアイ

2018-2020 GI 9勝

牝馬三冠の後、混合戦に進出。ジャパンカップ2勝、天皇賞・秋を史上初の連覇、ドバイターフ、安田記念戦線でも上位、最終戦のジャパンカップで「三冠馬3頭対決」を制してGI 9勝。当時の日本記録。

ジェンティルドンナ

2012-2014 GI 7勝

牝馬三冠+ジャパンカップ連覇(2012, 2013)+有馬記念(2014)+ドバイシーマクラシック。3歳でジャパンカップ制覇は史上初。混合G1で世界中の名馬たちを抑えた、日本牝馬の歴史を塗り替えた一頭。

そして、ほかの女傑たち

古くは……

1937年のヒサトモ、1943年のクリフジが、戦前の時代に牝馬ダービー馬として名を残しています。ウォッカが64年ぶりの偉業を達成できたのは、彼女たちが最初の扉を開いていたからこそ。

なぜ、これほど記録に残るのか

これらの偉業がどれほど特別かは、時間軸を見れば分かります。ウォッカの「64年ぶり」というのは、半世紀以上、誰も成し遂げられなかったということ。ダイワスカーレットの「54年ぶり」も同じです。

牡馬三冠は85年で8頭、無敗三冠は3頭——そのレアさと並んでも、牝馬による混合G1制覇は同等以上に難しい偉業なのです。

The Answer

牝馬は、弱くない。

生物学的にハンデを背負って、それでも勝つことがある。

だからこそ、その勝利の重みは、牡馬以上なのかもしれない。